救出され、会見で深々と頭を下げる(手前から)金藤宗晃さん、端橋伸一さん、松原靖男さん=広島市中区の広島市民病院で2008年2月5日午後2時32分、小関勉撮影
ベテランスノーボーダーたちは雪深い山中で励まし合い、命をつないだ。5日朝、広島県安芸太田町の国設恐羅漢(おそらかん)スキー場から島根県側の林道に下りてきたところを救助された7人。偶然見つけた小屋で暖を取りながら、わずかな食料を分け合うなど冷静な判断が生還につながった。一方で「甘く見ていた。冬山の厳しさを思い知らされた」とも。その表情には安堵(あんど)と自省が同居していた。
【写真特集】 7人救出の瞬間 毛布にくるまり、担架で下山へ
7人は広島市内の3病院で治療後、それぞれ記者会見し、消息を絶ってからの約42時間を振り返った。
■1日目
道を間違えたのは3日午後、恐羅漢山から南側の尾根伝いに滑っている途中だった。
途中からボードを背負って歩いているうちに日が暮れ、携帯電話は圏外で連絡も取れない。午後6時ごろ、使われていない小屋を見つけた。窓ガラスが割れていたので、古いござや廃材を風よけにした。運良く毛布もあった。古い板に火を付け暖を取り、夜は栄養補助食品1箱やアメを分け合って食べた。
■2日目
一夜明けた4日は終日雪が降り続いた。ヘリコプターの音で「捜索されている」と分かったが、危険を避けるため小屋を動かないことにした。雪を溶かして水を飲み、クマザサの葉を炒って茶を沸かした。交代で火の番をしながら睡眠を取り、体力を温存した。
■3日目
天候が回復した5日朝、小屋の前で古い畳を燃やしてのろしを上げた。下山を決めたのは午前8時すぎ。約1時間後、先を滑っていた青木さんと同県平生町の大工、服部繁範さん(40)が、地元消防団員らと遭遇した。「安心で腰が砕けるようだった」という青木さん。携帯の電源を入れると、友人らからの励ましのメールが30通ほども届いていた。涙があふれ出た。
■反省
記者会見で7人は、そろって謝罪と反省の言葉を口にした。
コース外を滑ったことについて金藤さんは「雪が深いところを滑りたいという単純な理由。危いという認識は正直あったが、自信過剰だった」。服部さんも「今回は山をなめていた。いつものように終わると思っていた甘い自分がいた」と振り返った。
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救出され、会見で深々と頭を下げる(手前から)金藤宗晃さん、端橋伸一さん、松原靖男さん=広島市中区の広島市民病院で2008年2月5日午後2時32分、小関勉撮影
ベテランスノーボーダーたちは雪深い山中で励まし合い、命をつないだ。5日朝、広島県安芸太田町の国設恐羅漢(おそらかん)スキー場から島根県側の林道に下りてきたところを救助された7人。偶然見つけた小屋で暖を取りながら、わずかな食料を分け合うなど冷静な判断が生還につながった。一方で「甘く見ていた。冬山の厳しさを思い知らされた」とも。その表情には安堵(あんど)と自省が同居していた。
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7人は広島市内の3病院で治療後、それぞれ記者会見し、消息を絶ってからの約42時間を振り返った。
■1日目
道を間違えたのは3日午後、恐羅漢山から南側の尾根伝いに滑っている途中だった。
途中からボードを背負って歩いているうちに日が暮れ、携帯電話は圏外で連絡も取れない。午後6時ごろ、使われていない小屋を見つけた。窓ガラスが割れていたので、古いござや廃材を風よけにした。運良く毛布もあった。古い板に火を付け暖を取り、夜は栄養補助食品1箱やアメを分け合って食べた。
■2日目
一夜明けた4日は終日雪が降り続いた。ヘリコプターの音で「捜索されている」と分かったが、危険を避けるため小屋を動かないことにした。雪を溶かして水を飲み、クマザサの葉を炒って茶を沸かした。交代で火の番をしながら睡眠を取り、体力を温存した。
■3日目
天候が回復した5日朝、小屋の前で古い畳を燃やしてのろしを上げた。下山を決めたのは午前8時すぎ。約1時間後、先を滑っていた青木さんと同県平生町の大工、服部繁範さん(40)が、地元消防団員らと遭遇した。「安心で腰が砕けるようだった」という青木さん。携帯の電源を入れると、友人らからの励ましのメールが30通ほども届いていた。涙があふれ出た。
■反省
記者会見で7人は、そろって謝罪と反省の言葉を口にした。
コース外を滑ったことについて金藤さんは「雪が深いところを滑りたいという単純な理由。危いという認識は正直あったが、自信過剰だった」。服部さんも「今回は山をなめていた。いつものように終わると思っていた甘い自分がいた」と振り返った。
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ベテランスノーボーダーたちは雪深い山中で励まし合い、命をつないだ。5日朝、広島県安芸太田町の国設恐羅漢(おそらかん)スキー場から島根県側の林道に下りてきたところを救助された7人。偶然見つけた小屋で暖を取りながら、わずかな食料を分け合うなど冷静な判断が生還につながった。一方で「甘く見ていた。冬山の厳しさを思い知らされた」とも。その表情には安堵(あんど)と自省が同居していた。
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7人は広島市内の3病院で治療後、それぞれ記者会見し、消息を絶ってからの約42時間を振り返った。
■1日目
道を間違えたのは3日午後、恐羅漢山から南側の尾根伝いに滑っている途中だった。
途中からボードを背負って歩いているうちに日が暮れ、携帯電話は圏外で連絡も取れない。午後6時ごろ、使われていない小屋を見つけた。窓ガラスが割れていたので、古いござや廃材を風よけにした。運良く毛布もあった。古い板に火を付け暖を取り、夜は栄養補助食品1箱やアメを分け合って食べた。
■2日目
一夜明けた4日は終日雪が降り続いた。ヘリコプターの音で「捜索されている」と分かったが、危険を避けるため小屋を動かないことにした。雪を溶かして水を飲み、クマザサの葉を炒って茶を沸かした。交代で火の番をしながら睡眠を取り、体力を温存した。
■3日目
天候が回復した5日朝、小屋の前で古い畳を燃やしてのろしを上げた。下山を決めたのは午前8時すぎ。約1時間後、先を滑っていた青木さんと同県平生町の大工、服部繁範さん(40)が、地元消防団員らと遭遇した。「安心で腰が砕けるようだった」という青木さん。携帯の電源を入れると、友人らからの励ましのメールが30通ほども届いていた。涙があふれ出た。
■反省
記者会見で7人は、そろって謝罪と反省の言葉を口にした。
コース外を滑ったことについて金藤さんは「雪が深いところを滑りたいという単純な理由。危いという認識は正直あったが、自信過剰だった」。服部さんも「今回は山をなめていた。いつものように終わると思っていた甘い自分がいた」と振り返った。
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ベテランスノーボーダーたちは雪深い山中で励まし合い、命をつないだ。5日朝、広島県安芸太田町の国設恐羅漢(おそらかん)スキー場から島根県側の林道に下りてきたところを救助された7人。偶然見つけた小屋で暖を取りながら、わずかな食料を分け合うなど冷静な判断が生還につながった。一方で「甘く見ていた。冬山の厳しさを思い知らされた」とも。その表情には安堵(あんど)と自省が同居していた。
【写真特集】 7人救出の瞬間 毛布にくるまり、担架で下山へ
7人は広島市内の3病院で治療後、それぞれ記者会見し、消息を絶ってからの約42時間を振り返った。
■1日目
道を間違えたのは3日午後、恐羅漢山から南側の尾根伝いに滑っている途中だった。
途中からボードを背負って歩いているうちに日が暮れ、携帯電話は圏外で連絡も取れない。午後6時ごろ、使われていない小屋を見つけた。窓ガラスが割れていたので、古いござや廃材を風よけにした。運良く毛布もあった。古い板に火を付け暖を取り、夜は栄養補助食品1箱やアメを分け合って食べた。
■2日目
一夜明けた4日は終日雪が降り続いた。ヘリコプターの音で「捜索されている」と分かったが、危険を避けるため小屋を動かないことにした。雪を溶かして水を飲み、クマザサの葉を炒って茶を沸かした。交代で火の番をしながら睡眠を取り、体力を温存した。
■3日目
天候が回復した5日朝、小屋の前で古い畳を燃やしてのろしを上げた。下山を決めたのは午前8時すぎ。約1時間後、先を滑っていた青木さんと同県平生町の大工、服部繁範さん(40)が、地元消防団員らと遭遇した。「安心で腰が砕けるようだった」という青木さん。携帯の電源を入れると、友人らからの励ましのメールが30通ほども届いていた。涙があふれ出た。
■反省
記者会見で7人は、そろって謝罪と反省の言葉を口にした。
コース外を滑ったことについて金藤さんは「雪が深いところを滑りたいという単純な理由。危いという認識は正直あったが、自信過剰だった」。服部さんも「今回は山をなめていた。いつものように終わると思っていた甘い自分がいた」と振り返った。
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ベテランスノーボーダーたちは雪深い山中で励まし合い、命をつないだ。5日朝、広島県安芸太田町の国設恐羅漢(おそらかん)スキー場から島根県側の林道に下りてきたところを救助された7人。偶然見つけた小屋で暖を取りながら、わずかな食料を分け合うなど冷静な判断が生還につながった。一方で「甘く見ていた。冬山の厳しさを思い知らされた」とも。その表情には安堵(あんど)と自省が同居していた。
【写真特集】 7人救出の瞬間 毛布にくるまり、担架で下山へ
7人は広島市内の3病院で治療後、それぞれ記者会見し、消息を絶ってからの約42時間を振り返った。
■1日目
道を間違えたのは3日午後、恐羅漢山から南側の尾根伝いに滑っている途中だった。
途中からボードを背負って歩いているうちに日が暮れ、携帯電話は圏外で連絡も取れない。午後6時ごろ、使われていない小屋を見つけた。窓ガラスが割れていたので、古いござや廃材を風よけにした。運良く毛布もあった。古い板に火を付け暖を取り、夜は栄養補助食品1箱やアメを分け合って食べた。
■2日目
一夜明けた4日は終日雪が降り続いた。ヘリコプターの音で「捜索されている」と分かったが、危険を避けるため小屋を動かないことにした。雪を溶かして水を飲み、クマザサの葉を炒って茶を沸かした。交代で火の番をしながら睡眠を取り、体力を温存した。
■3日目
天候が回復した5日朝、小屋の前で古い畳を燃やしてのろしを上げた。下山を決めたのは午前8時すぎ。約1時間後、先を滑っていた青木さんと同県平生町の大工、服部繁範さん(40)が、地元消防団員らと遭遇した。「安心で腰が砕けるようだった」という青木さん。携帯の電源を入れると、友人らからの励ましのメールが30通ほども届いていた。涙があふれ出た。
■反省
記者会見で7人は、そろって謝罪と反省の言葉を口にした。
コース外を滑ったことについて金藤さんは「雪が深いところを滑りたいという単純な理由。危いという認識は正直あったが、自信過剰だった」。服部さんも「今回は山をなめていた。いつものように終わると思っていた甘い自分がいた」と振り返った。
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ベテランスノーボーダーたちは雪深い山中で励まし合い、命をつないだ。5日朝、広島県安芸太田町の国設恐羅漢(おそらかん)スキー場から島根県側の林道に下りてきたところを救助された7人。偶然見つけた小屋で暖を取りながら、わずかな食料を分け合うなど冷静な判断が生還につながった。一方で「甘く見ていた。冬山の厳しさを思い知らされた」とも。その表情には安堵(あんど)と自省が同居していた。
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7人は広島市内の3病院で治療後、それぞれ記者会見し、消息を絶ってからの約42時間を振り返った。
■1日目
道を間違えたのは3日午後、恐羅漢山から南側の尾根伝いに滑っている途中だった。
途中からボードを背負って歩いているうちに日が暮れ、携帯電話は圏外で連絡も取れない。午後6時ごろ、使われていない小屋を見つけた。窓ガラスが割れていたので、古いござや廃材を風よけにした。運良く毛布もあった。古い板に火を付け暖を取り、夜は栄養補助食品1箱やアメを分け合って食べた。
■2日目
一夜明けた4日は終日雪が降り続いた。ヘリコプターの音で「捜索されている」と分かったが、危険を避けるため小屋を動かないことにした。雪を溶かして水を飲み、クマザサの葉を炒って茶を沸かした。交代で火の番をしながら睡眠を取り、体力を温存した。
■3日目
天候が回復した5日朝、小屋の前で古い畳を燃やしてのろしを上げた。下山を決めたのは午前8時すぎ。約1時間後、先を滑っていた青木さんと同県平生町の大工、服部繁範さん(40)が、地元消防団員らと遭遇した。「安心で腰が砕けるようだった」という青木さん。携帯の電源を入れると、友人らからの励ましのメールが30通ほども届いていた。涙があふれ出た。
■反省
記者会見で7人は、そろって謝罪と反省の言葉を口にした。
コース外を滑ったことについて金藤さんは「雪が深いところを滑りたいという単純な理由。危いという認識は正直あったが、自信過剰だった」。服部さんも「今回は山をなめていた。いつものように終わると思っていた甘い自分がいた」と振り返った。
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ベテランスノーボーダーたちは雪深い山中で励まし合い、命をつないだ。5日朝、広島県安芸太田町の国設恐羅漢(おそらかん)スキー場から島根県側の林道に下りてきたところを救助された7人。偶然見つけた小屋で暖を取りながら、わずかな食料を分け合うなど冷静な判断が生還につながった。一方で「甘く見ていた。冬山の厳しさを思い知らされた」とも。その表情には安堵(あんど)と自省が同居していた。
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■1日目
道を間違えたのは3日午後、恐羅漢山から南側の尾根伝いに滑っている途中だった。
途中からボードを背負って歩いているうちに日が暮れ、携帯電話は圏外で連絡も取れない。午後6時ごろ、使われていない小屋を見つけた。窓ガラスが割れていたので、古いござや廃材を風よけにした。運良く毛布もあった。古い板に火を付け暖を取り、夜は栄養補助食品1箱やアメを分け合って食べた。
■2日目
一夜明けた4日は終日雪が降り続いた。ヘリコプターの音で「捜索されている」と分かったが、危険を避けるため小屋を動かないことにした。雪を溶かして水を飲み、クマザサの葉を炒って茶を沸かした。交代で火の番をしながら睡眠を取り、体力を温存した。
■3日目
天候が回復した5日朝、小屋の前で古い畳を燃やしてのろしを上げた。下山を決めたのは午前8時すぎ。約1時間後、先を滑っていた青木さんと同県平生町の大工、服部繁範さん(40)が、地元消防団員らと遭遇した。「安心で腰が砕けるようだった」という青木さん。携帯の電源を入れると、友人らからの励ましのメールが30通ほども届いていた。涙があふれ出た。
■反省
記者会見で7人は、そろって謝罪と反省の言葉を口にした。
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■1日目
道を間違えたのは3日午後、恐羅漢山から南側の尾根伝いに滑っている途中だった。
途中からボードを背負って歩いているうちに日が暮れ、携帯電話は圏外で連絡も取れない。午後6時ごろ、使われていない小屋を見つけた。窓ガラスが割れていたので、古いござや廃材を風よけにした。運良く毛布もあった。古い板に火を付け暖を取り、夜は栄養補助食品1箱やアメを分け合って食べた。
■2日目
一夜明けた4日は終日雪が降り続いた。ヘリコプターの音で「捜索されている」と分かったが、危険を避けるため小屋を動かないことにした。雪を溶かして水を飲み、クマザサの葉を炒って茶を沸かした。交代で火の番をしながら睡眠を取り、体力を温存した。
■3日目
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■反省
記者会見で7人は、そろって謝罪と反省の言葉を口にした。
コース外を滑ったことについて金藤さんは「雪が深いところを滑りたいという単純な理由。危いという認識は正直あったが、自信過剰だった」。服部さんも「今回は山をなめていた。いつものように終わると思っていた甘い自分がいた」と振り返った。
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- Feb 06 Wed 2008 05:49
2008
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